人はなぜ死ぬまで働いてしまうのか、仕事が原因で死んでしまうのか

事故死、過労死、自殺、仕事が原因で命を落とす人は後を絶ちません。

確かに、事故死につながる危険と隣り合わせの仕事はこの世に存在しています。しかし、事故死とは無縁なオフィスでの事務仕事においても、過労死や自殺といった形で、人々は日常的に命を落としています。

死ぬまで無理して働かなければいい、死ぬほど追いつめられているなら仕事を辞めればいい、そう思う人も多いことでしょう。

いったいなぜ、人々は死ぬまで働いてしまうのでしょうか。

働かないと生きていけない

食料を得るために、生活の糧を得るために、何かしらかの労働が必要なのは事実です。

その前提がある限り、簡単に仕事を辞めるわけにはいかないでしょう。家族の生活を一人で支えている場合は、なおさらです。

しかし、その生きるための仕事で死んでしまっては元も子もありません。本末転倒です。追いつめられて死んでしまう前に、今の仕事を辞める、転職をするのが正しい判断だと言えるでしょう。

そのような理屈の上では正しい行動を、人々が取れない理由には様々なものがあります。そして、それは心がけ次第で予防が可能なものです。

共感性という足かせ

自分が辞めることで、同僚に迷惑がかかると考え、辞められない人がいます。また、辞めると言い出しにくい空気をなんとなく感じ、言い出せないままつらい日々を過ごし続ける人がいます。

そのような思いやりや共感性は、社会生活を円滑に営む上で、大事な要素です。しかし、それは必要なときに使えばよいツールであり、常に身にまとうことを強いられる呪いであってはいけません。優先度をはっきりさせましょう。

自分の将来、家族、命がなにより優先されます。他人への思いやりや共感性は、それらが確保されているときに、余裕があるときに発揮すればよいのです。

自分のために辞める必要があるときは、全てを気にせず、すぐに辞めましょう。大切なのは自分の人生です。

自分の限界は自分ではわからない

自分は大丈夫、鬱病になる人は自分とは違う、自分の限界はまだ先にある、つらいと感じていても、そう考えてがんばり続ける人がいます。

しかし、物事を客観的、正確に認識できなくなる人間の特性、認知バイアスの一つに、正常性バイアスというものがあります。

正常性バイアスは、自らが異常な状態に置かれたときに、その人物の精神的な負荷をやわらげるために、「自分は大丈夫」「自分に危害は発生しない」と思い込むように認識に補正がかかる人間の特性です。

この特性は、非常時のパニックを抑え、心理的負荷の軽減に寄与してくれます。しかし、一方で、災害時には「自分だけは大丈夫」と考えてしまった人々の避難の遅れにつながった事例が報告されています。

そのような正常性バイアスのデメリットは、仕事で死んでしまうほど追い詰められている、異常な状態に置かれてる人にも当てはまります。人は追い詰められれば追い詰められるほど、心を守ろうとする機能が働き、「自分はまだ大丈夫」だと、自分の本当の限界を見失ってしまうのです。

人間の特性を十分に理解した上で、自分の限界は思っているよりも手前にあると意識し、体の変調を大切な警告として受け取り、周りの人の客観的な意見に耳を傾けるようにしましょう。

人の思考力は簡単に失われる

人は、自らの理性を過信しがちです。仕事が原因で自殺するくらいなら、自分であればその前に退職、転職を選択するだろうと、大半の人は考えていることと思います。しかし、追い詰められた人は、平常時には当たり前にできることが、当たり前にはできなくなってしまいます。

例えば、現在の苦境から脱する、逃げ出すといった場合に、通常であれば将来的なメリットやデメリットも考え、建設的な転職活動へと乗り出すことが可能でしょう。一方で、追い詰められた人は、将来的なことを勘案するのも難しくなり、「明日、会社に行かなくてもよくなる」「今、つらい思いをしなくてもよくなる」といった目先の逃避願望に支配され、衝動的な死を選んでしまいます。

ずるずると決断を先延ばしにし、心を削り続け、正常な判断ができる余力を失ってしまうその前に、退職、転職を決断するのが大切だと言えるでしょう。

仕事で死ぬかもしれないという自覚

人類の努力によって、社会に守られた人々は、ある程度は理不尽な死から遠ざかることができるようになりました。しかし、縄文時代における狩猟採集という仕事の頃から、仕事とは生き死にが密接に関わるものであり、その本質は今も変わってはいません。自分も仕事で死ぬかもしれないという自覚を持って、細心の注意を払い、幸せな一生を全うできるように、がんばりましょう。