会社で宗教に勧誘されたときの対処法 - その本当の危険性と断り方

祈る人たち

まれなケースではありますが、上司や先輩から特定の宗教に勧誘され、無下にもできず困ってしまうということがあります。特に経営者の中には、特定の宗教に熱心な方も多く、程度の差はあれど、社員にも信仰を望むことがあるようです。

現在の日本においては、憲法で思想・良心の自由が保障されており、他者に特定の宗教への入信を強要されることはあってはなりません。しかし、会社という閉鎖コミュニティにおいては、有形無形を問わない圧力によって、そのような理屈が通じないことがあるのも事実です。

それでは、会社で宗教の勧誘を受けた場合、我々はどのように対応するのが正しいのでしょうか。

目次

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宗教は実際どれだけ危険なのか

多くの日本人は、宗教と聞くと身構えてしまうところがあると思います。理由もわからないまま、なんとなくで「怪しい」、「危険」、「関わらない方がよい」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

宗教の勧誘に対して、正しい対応をするためには、まず、我々が宗教の勧誘に対して、なぜ強い抵抗感を持つのかの背景を正しく知っておく必要があります。

身の回りに当たり前にある宗教

宗教と聞くと、自分と関わりのない特別なものとして考えがちですが、人間の営みと宗教は切っても切れない関係があります。例えば、日本人は、初詣や墓参り、葬式、年末の大掃除など、宗教に関わる行事を、日々の生活の中で自然に受け入れています。

これらは皆さんが抵抗感を持つ「宗教」ではなく、もはや「文化的な習慣」として定着したものだと言えるでしょう。それでは、皆さんが抵抗感を持つ「宗教」とは、どのようなものなのでしょうか。

抵抗を感じるのは創唱宗教

宗教を大別すると、「自然宗教」と「創唱宗教」に分けることができます。

自然宗教とは、特定の創始者を持たず、多くの場合、自然の偉大さや残酷さに対して、自然発生的に生まれる信仰です。特定の教義や体系を持たず、意図的な布教活動などには発展せず、地域や民族に根差すことがほとんどです。その代表例は、国家神道として組織化される前の日本の神道であり、古来より大きな木をご神木として崇めたりしてきました。

一方で、創唱宗教とは、特定の創始者がいる宗教で、多くの場合、教義や体系を整え、意図的な布教活動を行います。キリスト教やイスラム教、仏教がその代表例となります。フランシスコ=ザビエルが、わざわざ海を越えて日本にまで布教活動に来たのは有名な話です。

皆さんが抵抗感を持つ「宗教」とは、基本的にこの創唱宗教の方になります。それは、以下の創唱宗教の特性と、その特性がゆえの歴史によるものです。

  • 布教活動に伴い、他宗教への攻撃的側面が表れることがあり、歴史上、戦争や虐殺の原因となったことがある
  • 社会の中で、特定の閉鎖的なコミュニティを形成することで、既存コミュニティとの摩擦の発生、各種事件に発展した歴史がある
  • 各種事件が発端となり、既存コミュニティから見た場合に奇異に映る部分が、マスメディアにより拡大、拡散され、イメージの定着がなされた

元々は創唱宗教であったとしても、長い歴史で地域に根差したものは、墓参り、葬式などのように文化的な習慣として定着することもありますが、戦後発生した新興宗教の類は、マスメディアの報道の力もあり、奇異なものとして扱われています。

画一化された社会の中で、別の価値観を持って、閉鎖的なコミュニティを形成すれば、摩擦が起こるのは当然のことです。しかし、実際に問題となっていたり、法を破ることまでしているのはごく一部の団体であり、会社という閉鎖的なコミュニティが法を破る数に比べれば、ごくごく少数だと言えます。

会社が日常的に人を死に追いやっていることを考えれば、現代社会においては、一部が悪目立ちしているだけで、宗教団体が人を死亡させている数は、相対的には限りなく少ないと言えるのではないでしょうか。

宗教で得られるものと失うもの

ここからは、実際に会社で宗教に勧誘された場合にどうするかのお話をしていきたいと思います。前述のように、宗教団体の全てが、世間で思われているほど危険なわけではありません。先入観を一度捨て、勧誘を受け入れた際のメリットとデメリットを冷静に比較することをお勧めします。

宗教で得られるもの

特定の宗教に入信することで得られるものの例として、以下が挙げられます。

出世や昇進

人間は、自らと同じ共同体に所属している者に対して、明らかな贔屓を行います。宗教という共同体においても同様です。

上司や先輩、それこそ経営者と同じ宗教に入信するということは、それだけで大きなアドバンテージとなり、出世や昇進に結びつくこともあるでしょう。

信じられるなら莫大なリターン

宗教は、元来、死に対しての恐怖や現実の理不尽な苦しみから逃避し、心の負荷を軽減するために生まれました。

あなたがもし、本気で特定の教義を信仰することができれば、死に対しての恐怖や現実の理不尽な苦しみを軽減できるという、莫大なリターンが得られるかもしれません。

宗教で得られる人間関係

宗教の活動は、多くの場合、家族ぐるみの休日の活動を伴います。仲間意識を伴うそのコミュニティは、他人との関係性が脆弱になりがちな現代において、心の安らぎや充実感を得る場となり得るかもしれません。

宗教で失うもの

逆に、特定の宗教に入信することで失うものの例として、以下が挙げられます。

宗教で失う時間

前述のように、宗教の活動は、多くの場合、休日の活動を伴います。それは、単なる会合から、町の清掃などの奉仕活動、布教活動まで多岐に渡り、無償であることがほとんどです。

宗教活動に従事するための、時間的なコストは意識しておかなければなりません。

宗教で失うお金

所属する宗教団体によって大きな差があるのが金銭的な負担です。

もともと金銭を集めることを目的とした悪質な団体には注意が必要です。金銭の不浄を清めるためなどの理由による高額なお布施や、高額な関連商品の購入の強要は、各種メディアでセンセーショナルに報道されてきたとおりです。

悪質な団体は多くの場合、訴訟を起こされるなど、トラブルが表面化しています。インターネット上で現在の団体名、過去の団体名を検索して、どのようなトラブルを起こしてきたのかを確認するとよいでしょう。

そのような悪質な宗教団体でなくても、組織が活動するためには資金がどうしても必要です。一定の活動費の徴収、団体の発行物の購入費、活動に向かうための自身の交通費など、細かい金銭的な負担は存在しています。

得られるメリットと、金銭的負担がつり合っているかは、きちんと考える必要があるでしょう。

宗教で失う人間関係

冒頭で述べたように、日本人は宗教に対して、なんとなくで「怪しい」、「危険」、「関わらない方がよい」というイメージを持っています。

特定の宗教に所属しているというだけで、離れていく人もいることでしょう。また、場合によっては親族関係にも影響が出ることがあります。

自分がその宗教団体に所属したら、周りからどのように見られるのか、どのような反応が予想されるのかは、事前に考えておく必要があるでしょう。

宗教勧誘の上手な断り方

メリットとデメリットを比較した上でも、多くの人が勧誘を断りたいと考えるのではないでしょうか。ここからは、宗教の勧誘の上手な断り方について述べていきたいと思います。

上手な断り方を考える上でまず必要なのは、勧誘者が、相手に迷惑になるかもしれないと自覚して遠慮がちに勧誘してきているのか、本当に相手のためになると信じて勧誘してきているのかを見分けることです。

勧誘者の様子をよく観察して、どちらのパターンなのかを見極めましょう。

勧誘相手も乗り気ではない場合

入信するメリットを考慮した結果、信仰心がない、または薄いのに入信している人たちは一定数存在しています。そのような人たちであっても、所属団体によっては勧誘のノルマが課され、勧誘行為を行わなければならないことがあります。

彼ら彼女らは、勧誘の際には相手に迷惑がられるだろうと予想し、遠慮がちに声をかけてきます。断られることを想定した上での勧誘行為です。相手にも事情があることを理解した上で、怪しいやつだという気持ちを表面に出さず、訝しむ態度を取らずに、丁寧にお断りしてあげましょう。

このような場合は、断る理由を特に述べずとも、すぐに相手は引き下がってくれることでしょう。

勧誘相手が本気である場合

勧誘相手が、本当に相手のためになると思い、相手の人生の幸せにつながると信じて勧誘してきてくれることがあります。

このような場合でも、相手に悪意はないので、怪しいやつだという気持ちを表面に出さず、訝しむ態度を取らずに、丁寧にお断りすることが大事です。

しかし、こちらのパターンでは、どうして断るのか、少しでいいから具体的な話を聞いてくれないかと引き下がられることが多くあります。ここで大切なのは、勧誘相手の押しに負けて、断る理由として「うちは○○だから」と実家のお墓のある宗派の名前を具体的に出したり、少しなら話を聞くことを同意したりは決してしないことです。

勧誘相手にとってそのような対応は、もっと話をするきっかけを与えられた形となり、もっとがんばろうというモチベーションを与える行為となります。最終的に断るつもりの場合、相手を勘違いさせてしまうのも申し訳がない話です。相手が諦めるまで、追加の具体的な情報を出すことなく、丁寧にお断りする対応を続けましょう。

強いお断りも、執拗な勧誘も、レリハラになる可能性

海外では、信仰している宗教による差別が社会問題として表面化しており、そのような差別的な言動は「レリジャスハラスメント(religious harassment/宗教に関する嫌がらせ)」というハラスメントの一つとして捉えられています。

日本でもその考え方は取り入れられており、「レリハラ」という略語も存在しています。

もし、会社で特定の宗教への勧誘を受けた際に、断りたいあまりに、強い言葉でその宗教の信仰自体を否定してしまうと、断った側の人がレリジャスハラスメントを行ったと問題になってしまうかもしれません。やはり、丁寧な対応が求められます。

そして、逆に、特定の宗教への執拗な勧誘を行い、相手に精神的な苦痛を与えることもレリジャスハラスメントに該当します。

断ることもたいへんでつらい気持ちを抱えてしまっている場合は、会社のハラスメント相談窓口に相談してみることをお勧めします。

会社ぐるみで特定の宗教を信仰している場合

創業者が特定の宗教の熱心な信者であるような場合に、会社ぐるみで休日の奉仕活動などの宗教活動を強制されることがあります。

そのような場合は、入社した時点で断ることができない状況となっており、会社行事の一環として受け入れるか、どうしても受け入れがたい場合は、転職を視野に入れるしかないでしょう。

しかし、多くの場合、公式な会社行事化していることから、入社前の情報収集をきちんと行えば避けられるはずです。情報収集を行う際のポイントとして意識しておくことをお勧めします。